日本人の旅の起源は、巡礼といわれ、寺社に所属する神職や僧侶などが布教活動のため日本各地を訪れ、社寺のお札を配ったり、教えを説教したりしました、話を聞いた人々は、いつかは本山でお札を頂きたいと願い巡礼が人々の間で行われるようになったのが旅の始まりだといわれます。
その代表的なものがお伊勢参り・西国三十三観音巡り・四国八十八ヶ所霊場巡りだと言われ、神仏への信仰の心や先祖への供養の心を表す「霊場巡拝」は旅の原点です。人々が憧れ目指した霊場地は、信仰と歴史、伝統と文化、そして旅人を迎えた人々のおもてなしの心に触れる道でもあります。
四国八十八ヶ所など、聖地・霊場を巡り参拝することを巡礼といいますが、今、「心のよりどころ」を求める人々が、巡礼にその場を求めているようです。純粋な信仰心というよりも旅行気分で巡礼に出た人もいつしか心が洗われて、自分を見つめなおす機会となるでしょう。
伊豆八十八ヶ所霊場は伊豆半島の自然と風土の中に点在しています。田園の中に佇む寺院や海を見下ろす高台の寺など、歴史ある古寺、名刹を廻りながら、温かい伊豆の人と文化に触れる旅、それが伊豆の巡礼「温い巡礼」なのです。
巡礼は心の旅です。人は皆、悩みも悲しみも持っていますし、心にモヤモヤしたものがあったりもします。そしてまた、希望や願いもあるものです。巡礼の道には何年もの長い間、多くの人々が様々な思いを持って巡った道です。その道を辿る時、今まで気づかなかったことに気づいたりするのです。
日々の雑務から解き放たれて、田園に佇む古寺の境内で休んでいますと、自然の音が耳に入って来るのです。空の青さが目に入り、景色の色に季節を感じ、風が薫ります。普段なら聞こえない音が聴こえ、見えないものが見えてきます。
巡礼には決められた装束や携帯品がありますが、必ずしも全て揃えなければならないということではありません。また、仏教の宗派を問わずお参りできるうえ、順番通りに回らなければならないこともないのです。まずは、気軽に参加してみることです。巡礼ツアーで隣り合わせた人や町や村で出会った人との出会い。このご縁も巡礼の真髄なのです。
伊豆八十八ヶ所霊場は一番札所から八十八番札所までの八十八ヶ所の霊場をお参りすることで「結願」し願いが叶う、極楽浄土へ行けるとされています。「同行二人」と言って、たとえ修行の旅が辛く困難を伴うものであっても、お大師様(弘法大師空海)が常に見守って下さるという、心の癒しの旅でもあるのです。
地方では、四国への巡礼はなかなか行けないため、札所を作りお参りすることで、四国巡礼の代わりとしたことが地方の巡礼の始まりと言われています。伊豆八十八ヶ所巡礼は"豆国八十八ヶ所巡礼"と呼ばれ遍路の一つとなっています。
弘法大師が修行で修禅寺に逗留した折、伊豆半島を巡幸され、自ら開創・開山した寺院があります。また弘法大師と関係の深い寺院も多く、発祥は定かではありませんが古くから巡礼があったと言われています。
伊豆八十八ヶ所霊場の二十八番札所、大江院(伊東市八幡野)で、「豆国(伊豆)八十八ヶ所霊場納経帳が発見されました。これに明治二十二年の銘があり、豆国遍路が百二十年以前から行われていた事実が判明しています。