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ウイキペディアでも判明できません、せめて、小左衛門ー小忠太ー晋作ー東一-春太郎ー勝 位の系図解るのは・・・。晋作についての話題~高杉晋作と西郷隆盛の薩長連合の地ならしの時の事。この時、高杉は、会見の場所を下関の遊郭稲荷町の大阪屋に指定した。大阪屋は下関屈指の女郎屋で、女郎23人、禿(かむろ)13人、下男4人、下女4人の陣容?。脂粉の香りただよう真只中である。敵・幕府の目をはぐらかすにはもってこいか?!。そこで、伊藤俊輔(後・博文)を通じて村田蔵六(大村益次郎)に頼み込んだ。その頃、村田はもっぱら武器の密輸に専念していた。村田これ等の斡旋も担当だった!? 「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」高杉晋作・のあまりにも有名な都都逸ですね。この高杉の逸話、将軍の行列に揶揄して「ヨオツ!大統領!」と叫んだそうで、籠の中の将軍、悔し涙を浮かべてたそうです。
長州藩は西洋列強の船に砲撃して西洋の連合軍の艦隊が報復軍事攻撃を長州に行い長州藩の重要砲台は占領され西洋の海兵隊が長州に上陸、長州藩は降参した。

この戦いの講和会議が長州でやることが決まったが
長州藩では誰が講和交渉の藩代表をやるか、もめた
誰も負け戦の謝り交渉などやりたくなかったわけで
当時、藩政を担当していた長州藩保守派に弾圧された派にいた高杉晋作は藩に逮捕されて牢獄にいた。
晋作は放免と引き換えに罰ゲームのような敗戦交渉の役を
引き受けた、囚人が講和代表だと体裁わるいため
晋作は「宍戸」と偽名を名乗り交渉に臨んだ
晋作は派手な着流しで交渉のテーブルにつき相手側を呆気に
とらせ、西洋の交渉人が長州藩へ賠償金と領土租借を
要求すると晋作は一環して幕府に文句をいえと煙にまき
相手がシツコク食い下がると日本の歴史をヤマトタケルノミコト
から江戸幕末の現在までの歴史年表にのっているあらかたの
出来事を詳しく西洋の代表に語って聞かせ全く取り付くシマも無い
態度と行動を晋作がとったので西洋列強は
長州藩に賠償を求めるのを断念した。
晋作が敗戦交渉をしているときに長州藩の攘夷派が
いま敗戦交渉をやっている奴はけしからん斬ると騒ぎ出したため
晋作はアホらしくなり交渉が終わるやいなや行方を
くらまして長崎あたりへタカトビしたとされる。

おもしろきこともなき世をおもしろく。下方彩純の知識より。


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